はじっこに置いといてください。たまに読んでください。

日常の感じたことや出来事をつらつらと。20歳になりました

もう読んでくれている人はいないかも

 

そう思いながらも人生最後の春合宿だし

思うことを書いてみようかなと

トイレの個室ではてなブログを開いた

 

トイレの個室は面白い

小便に来たいろんな後輩の話がきこえる

普段堅苦しい敬語を使ってくる後輩たちの

素の会話がきこえるのだ

 

話の内容よりも話し方に興味が湧く

普段はこんな風に話してるんだなって

 

俺が個室から出ると少し驚いた顔をして

お疲れ様です

と声をかけてくる

 

うんちお疲れさま

という意味ではないと思うが

それも面白い

 

おす

と返事をして何も考えていないような顔をして手を洗って出て行こう

 

うるさい二段ベットのある狭い部屋には馴染みの同期たちがいてそれもまた楽しい

 

幸せだ

最後の一年

これが終われば

最後の夏合宿

全部最後になる

 

引退を意識するようになって視野が広がった気がするなあ。

とりとめないないない

完全独立のイヤホン同士の接続がうまくいかなくなってしまって左からは何も聞こえてこない

右耳から音楽が流れて左耳は音が入りにくくなっている

左右で違う靴下を履いているような感覚で少し居心地が悪い

 

各駅停車は各駅でドアを開けてあつい空気を迎え入れるが各駅でドアを開けてくれないと僕は降りれないので我慢している

 

こんなに暑ければみんな脳が溶けて「平成最後の夏」なんてどうしようもない言葉が生まれてしまうのも納得だ

人間が決めた、時間の枠の中で決められた平成最後の夏に鳴くセミはそんなの気にしてないだろう

脳の溶け出した連中がたわごとを抜かしている間に僕は人生最後の季節に思いを馳せる

 

桜と散ってやるか

熱中症で死ぬのはごめんだ

もみじを栞に本を読みながら死ぬのもいいな

雪かきで死ぬのは嫌だ

 

春か秋に死んでやろうと思った

 

気持ちを伝えるためにできた言葉が多くなりすぎたせいで回り道もするし伝えたいことが薄れるし違う受け取られ方をしてしまう

めんどくさいよねそんなの

だから世の中にはハグだったりキスだったり手を繋いだり

言葉ではない表現があるんだね

だからそういうことって特別なんだなって思いました

こじあけて視野

大学3年生になって

キャンパスの場所が変わったんですけどね

すごくいろんな人と話すようになったんです

今まではキャンパスで会っても気まずくて無視してたような相手にもにこにこ手を振れるようになりました

いろんな人との関わりを持つうちにね

自分にはあんまり嫌いな人はいないんじゃないかなって思いはじめたんです

今までは嫌いな奴が多いのが売りみたいなところがあったんですけどね

まあもちろん苦手な奴はいるし嫌いな絡みもあるにはあるんですけど

拒絶はしなくなりました

価値観的な視野の広がりを感じています

思いのほか面白いもんだなって

幸せです。

ちーと

俺はすごくずるい

嫌なことからは逃げるし

いいように考えてしまう

気づかないフリもするし

聞こえていないフリもする

それに気がついたことがまず成長だと思うことでまたうまく逃げている最中だ

 

苦しくても前を向いて

僕の母はいつも笑っていました

いつも前向きでした

ある日母は親戚に癌の転移のことを笑いながら報告していました

親戚は明るい顔と暗い声を出しました

その意味がわからなかった僕は母にたずねました

てんいっていいことなの?

母は

いいことではないよ

と言いました

また僕はたずねました

じゃあなんでたしそうにいうの

母はまた笑って言いました

私が笑ってないと相手がこまるでしょ

 

僕は意味がわかりませんでした

けれどそれ以降は何もききませんでした

 

そして僕は大きくなりました

いろんなことがわかるようになりました

母がどれだけ前向きだったのか

母がどれだけ出来た人だったのか

僕は母の息子です

僕も前向きでいようと思いました

 

だけど今でも

いいことではないよ

の  は  の意味がわかりません

いつかわかる日が来るのでしょうか

 

いつも思います

いつかもう一度母と話せたら、と。