はじっこに置いといてください。たまに読んでください。

日常の感じたことや出来事をつらつらと。20歳になりました

とりとめないないない

完全独立のイヤホン同士の接続がうまくいかなくなってしまって左からは何も聞こえてこない

右耳から音楽が流れて左耳は音が入りにくくなっている

左右で違う靴下を履いているような感覚で少し居心地が悪い

 

各駅停車は各駅でドアを開けてあつい空気を迎え入れるが各駅でドアを開けてくれないと僕は降りれないので我慢している

 

こんなに暑ければみんな脳が溶けて「平成最後の夏」なんてどうしようもない言葉が生まれてしまうのも納得だ

人間が決めた、時間の枠の中で決められた平成最後の夏に鳴くセミはそんなの気にしてないだろう

脳の溶け出した連中がたわごとを抜かしている間に僕は人生最後の季節に思いを馳せる

 

桜と散ってやるか

熱中症で死ぬのはごめんだ

もみじを栞に本を読みながら死ぬのもいいな

雪かきで死ぬのは嫌だ

 

春か秋に死んでやろうと思った

 

気持ちを伝えるためにできた言葉が多くなりすぎたせいで回り道もするし伝えたいことが薄れるし違う受け取られ方をしてしまう

めんどくさいよねそんなの

だから世の中にはハグだったりキスだったり手を繋いだり

言葉ではない表現があるんだね

だからそういうことって特別なんだなって思いました

こじあけて視野

大学3年生になって

キャンパスの場所が変わったんですけどね

すごくいろんな人と話すようになったんです

今まではキャンパスで会っても気まずくて無視してたような相手にもにこにこ手を振れるようになりました

いろんな人との関わりを持つうちにね

自分にはあんまり嫌いな人はいないんじゃないかなって思いはじめたんです

今までは嫌いな奴が多いのが売りみたいなところがあったんですけどね

まあもちろん苦手な奴はいるし嫌いな絡みもあるにはあるんですけど

拒絶はしなくなりました

価値観的な視野の広がりを感じています

思いのほか面白いもんだなって

幸せです。

ちーと

俺はすごくずるい

嫌なことからは逃げるし

いいように考えてしまう

気づかないフリもするし

聞こえていないフリもする

それに気がついたことがまず成長だと思うことでまたうまく逃げている最中だ

 

苦しくても前を向いて

僕の母はいつも笑っていました

いつも前向きでした

ある日母は親戚に癌の転移のことを笑いながら報告していました

親戚は明るい顔と暗い声を出しました

その意味がわからなかった僕は母にたずねました

てんいっていいことなの?

母は

いいことではないよ

と言いました

また僕はたずねました

じゃあなんでたしそうにいうの

母はまた笑って言いました

私が笑ってないと相手がこまるでしょ

 

僕は意味がわかりませんでした

けれどそれ以降は何もききませんでした

 

そして僕は大きくなりました

いろんなことがわかるようになりました

母がどれだけ前向きだったのか

母がどれだけ出来た人だったのか

僕は母の息子です

僕も前向きでいようと思いました

 

だけど今でも

いいことではないよ

の  は  の意味がわかりません

いつかわかる日が来るのでしょうか

 

いつも思います

いつかもう一度母と話せたら、と。

what i am thinking

なにを考えているのかと言われれば

なにもかんがえていないし

なにも考えていないと言われれば

なにかかんがえているきがする

暖房はあったかいし

コーヒーがおいしい

膝も腰も痛いけど

それ以外にはなにもない

 

ほっぺたには赤いにきびがふたつ肩を並べてる

冬の寒さにはいい加減に飽きがきて

夏が好きになった